• 桜 日本心創り・智慧創り研究所

古史古伝には、現代の医学では解明できない、
健康に関する多くの智慧が隠されています。
長い年月をかけて先人が培ってきた経験と知識には、
人や地球にも優しい自然の摂理に沿った
健康法として注目されています。
『伝承療法』を取り入れ、
健康維持をしてみませんか

こころつくり・ちえつくり

天から授かった"米の息吹"
『米の商品化』
Vol.10

古来より日本人のアイデンティティと深く結びついてきた。
日、水、土、の恩恵は、かけがえのない存在『米』

日本の古書『古事記』では、天孫降臨によって天照大神からさずかった稲で 米が作られ そして日本の礎を築いたと神話で、語られ日本国の始まりになった。

<米は、どのように商品化(近代化)が進んだのか>

農業技術の「科学化」 江戸時代までは経験と勘に頼っていた米作りが、
明治時代に「農学」という学問になりました。

品種改良の始まり
国が主導して、より収穫量が多く、寒さや病気に強い品種(「神力」や「亀の尾」など)が選別・育成されました。 これが現代のブランド米の先祖です。

米

亀の尾(かめのお)とは?
特徴: 1893年(明治26年)に山形県庄内地方の篤農家、 阿部亀治(あべかめじ)によって育成された品種です。 冷たい水が流れる田んぼでも育ち、いもち病などの病気に 非常に強かったため、「冷害に勝つ米」として北日本を中心に 爆発的に普及しました。 味: さっぱりとした食感と、噛むほどに広がる上品な甘み、 しっかりとした粒感があります。 現在: 一時姿を消しましたが、 漫画『夏子の酒』 のモデルになったことでも有名になり、現在は主に高品質な日本酒の 醸造用(酒米)として復活・栽培されています。

神力(しんりき)とは?
特徴: 1877年(明治10年)頃、兵庫県の丸尾重次郎が、 寒さや病気に強い特徴を持った3本の穂を発見したこと から生まれた品種です。西日本を中心に全国へ広がり、 当時の日本の米生産量を支えた多収品種です。 特徴: 倒伏に強く、病気にも強い特性がありました。 歴史的意義: 神力は、後の品種改良において多くの 優良品種の親となり、東日本の「亀の尾」、西日本の 「神力」と称されるほど、現代の品種の血筋に大きな 影響を与えています。

化学肥料の導入
それまでの干魚や堆肥だけでなく、海外から輸入されたリン酸肥料などが使われ始め、 収穫量が飛躍的に伸びました。

耕地整理
バラバラだった田んぼを四角く整え、水の管理をしやすくする
近代的な土木工事が全国で始まりました。
田んぼ
明治末期には江戸時代の倍近い米が獲れるようになりましたが、その多くは「小作料」や「税」として 吸い上げられ、都市の「ハイカラ」な食卓を支える輸出用や軍需用へと回されました。 生産量が右肩上がりに伸びる一方で、農村の生活は、楽にならなかったという事実があります。

<明治に商品化された米一粒に刻まれた、二つの顔>

1.米が経済を回す最も重要な商品道具になった

①. 「地租改正」による現金化の強制
これが資本主義の基盤になる重要なことです。 収穫したお米をそのまま納める(年貢)から土地の値段に 対して、「現金」で税金を納める(地租)になった。 農家は、税金を払うために、まずお米を市場で売って現金に 換えなければならなくなりました。これによって、 お米は強制的に「商品」として流通ルートに 乗せられることになりました。

古金
株式

②. 「米穀取引所」の近代化
お米の売り買いが、現代の株式投資のような システムに進化しました。 明治10年代から、全国各地に「米穀取引所」が整備されました。 そこで決まる「米相場(値段)」が、新聞や電信で全国へ 発信されるようになり、 お米は「投資や投機の対象」という、純粋な商品としての 性格を強めました。

③. 加工と流通の機械化
精米のプロセスも、人力から機械へとシフトしました。 精米機の登場: 1890年代(明治20年代)ごろから、蒸気機関や石油発動機を使った大型の精米機が登場します。 これにより、白米を大量生産して都市部へ供給することが可能になりました。 鉄道輸送: 鉄道の開通により、地方ごとの「貴重な食糧」から、東京や大阪といった大都市へ供給される 「コモディティ(共通の品物)」になったのです。

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④.近代化の「光と影」
近代化によってお米の生産量は増えましたが、その一方で庶民の生活には厳しい面もありました。 「米騒動」への伏線になりました。

騒動 一揆

お米が市場商品になったことで、価格が投機(ギャンブル的な売買)の対象になり、価格が乱高下しました これが後の大正時代に起きる「米騒動」へとつながる社会不安を生むことになります。 明治時代のお米は、まさに「伝統的な主食」から「近代国家を支える経済の柱」へと脱皮した時代なのです。

2.都会で新しい文化として花開いた「ハイカラなお米」

農村での切実な「お米の節約」とは正反対に、明治時代の都市部では、お米を「洋風にアレンジして楽しむ」という、 現代の私たちが大好きなメニューの原型が次々と誕生しました。
これこそが、食文化における「お米の近代化」文明開花の華やかな側面です。

グラバー 洋机

江戸時代まで日本人が牛肉をほとんど食べてませんでした。明治時代に入って爆発的に広まったのには、 「国家による強引なプロモーション」と「コンプレックスの克服」という裏事情があります。

ステーキ

『肉食=文明開化』
1,000年以上にわたって「肉食は穢(けが)れ」と遠ざけてきた日本人が、 一斉に手のひらを返した理由

明治政府は、日本人が欧米人に比べて体格が小さいのは「肉を食べていないからだ」と考えました。
天皇の肉食解禁(1872年): 1200年近く続いていた「肉食禁止の禁忌」を打ち破るため、 明治天皇が自ら牛肉を食べる姿を公開しました。これが国民に「肉を食べるのは恥ずかしいことではなく、
「新しい時代の象徴だ」と思わせる最大のインパクトになりました。

「牛鍋を食わぬは開化不進奴(ひらけぬやつ)」 牛鍋を食べないやつは時代遅れだ、
という流行語まで生まれ、ファッション感覚で食べる人が続出しました。
牛鍋

仏教的な「穢れ(けがれ)」の払拭
江戸時代までは、仏教の影響で「四つ足の動物を食べるのは卑しい、縁起が悪い」
という強い忌避感がありました。
「現人神である天皇が召し上がるなら、肉食は穢れではない」
このニュースによって、国民の心理的ハードルが一気に取り払われました。


4足動

薬食い(くすりぐい)として、江戸時代も「薬」としてコッソリ食べている人はいましたが、
堂々と食べる雰囲気ではありませんでした。
味付けの工夫は、 最初は肉の臭みを消すために、日本人に馴染みのある「味噌」で煮込みました。
これが「牛鍋」です。和風の味付けにすることで、心理的なハードルを一気に下げたのです。

富国強兵と「軍隊」

軍隊

「強い兵隊を作るには肉が必要だ」という栄養学的な理由もありました。
軍隊の食事に牛肉(大和煮の缶詰など)が採用され、
農村出身の若者たちが生まれて初めて牛肉を口にしました。
彼らが除隊して故郷に帰ることで、全国の農村にも「肉の味」が伝わっていきました。

カレーライス(海軍から家庭へ)
カレー
もともとはイギリス海軍の「シチュー」をヒントに、 日本海軍が考案しました。 パンだと腹持ちが悪く、日本兵に不評だったため、 小麦粉でとろみをつけたカレーをご飯にかけました。 これが「ライスカレー」の始まりです。 近代化の象徴であるジャガイモ、玉ねぎ、人参という 「西洋野菜」をお米と一緒に食べるスタイルは、 当時の最先端でした。
オムライス(銀座の屋台・レストラン)
オム
明治30年代、銀座の「煉瓦亭」などで誕生したと 言われています。 誕生のきっかけ: 忙しい厨房で、コックが片手で食べられる ように「ご飯と卵を混ぜて焼いた」のが始まりという 説があります。 お米の変身: それまで「醤油や味噌」で食べていたお米が、 「ケチャップやバター」と出会った衝撃的な瞬間でした。
牛鍋(ぎゅうなべ)「文明開化の味がする」代名詞
牛鍋
醤油と砂糖で煮込んだ牛肉は、白いご飯に最高に合いました。
社会現象のように 「牛鍋を食わねば開化不進奴(ひらけぬやつ)」と言われるほど流行し、人々はこぞって食べました。
田牛

明治初期に食べられていた牛は、食肉専用の牛ではなく、田んぼを耕していた「働く牛」でした。 現代の霜降り肉とは違い、筋肉質で非常に硬かったため、細かく切って濃い味で煮込む必要がありました。 それまで家族のように一緒に働いていた牛を食べることに、最初は涙を流して抵抗感を持つ農民も多かったといいます。 明治時代に牛肉が広まったのは、美味しさだけでなく「西洋に追いつけ追い越せ」という当時の 日本人の強烈な上昇志向が、お鍋の中に凝縮されていたのです。

文明開化には肉食意外にも生活習慣でも大変化がありました 『ちょんまげ』断髪令、『お歯黒、眉そり』禁止、『裸体』禁止、『太陽暦カレンダー』の採用などの 大変化があった時代です

お米が「生きるための糧」から「儲けるための商品」に変わったことで、 日本人の暮らしは豊かさと苦しみの両方を味わうことになったわけです。 「お米は一粒も無駄にするな」という教えは、現代では「食べ物を大切に」という道徳ですが、 当時は「一粒でも多く売って、現金を作らなければ家が潰れる」という切実な経済的理由もあったのです。

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